フィリピンで、

女子プロレス団体REINAがプロモートしたフィリピン大会

初めてフィリピンを訪れた俺は、その土地や現地の生活文化すら想像出来ないでいた。グローバル企業の大きな看板がひしめく街並みは何時でも大渋滞の車で埋め尽くされて、無茶な車線変更でわりこむ車が当たり前でも、信号の設置されて無い横断歩道を闊歩する人達は皆たくましく元気。そのフィリピンでは何よりも、そのたくましい生きるエネルギーを感じたのだった。

想えば、このフィリピンで興行を開催することでさえ行方を心配したものだが、それは日本の生活や習慣で考えてしまう失敗や責任を恐れる配慮からの心配であって、そのフィリピンで生活する人達のたくましさ、元気、ノリ、生きる感覚フィーリングの世界であれば、投げかけたアクションには素早く反応し活きる楽しみとして取り込む国民性からの当然のごとくの達成であったのだ。

言ってみれば、誰もが希望したけれど、誰もが躊躇した『コロンブスの船』に乗船した俺達。

まさに出航した。

水平線の向こうに新世界を開拓するために。

 

 

 

あの選手が若かった頃。。。

最近、若い選手達の活躍が観ていて嬉しい。会場の隅からのぞくリングでの情景は、出来不出来に係わらず選手達の情熱に心が惹きつけられる。

それは俺が歳を取った証拠なのだろう。彼らの躍動を眺めつつ時折、俺の若手時代を想いおこしたりもする。一心不乱、いや、ただがむしゃら。。。ってか、馬鹿。

そんな時代を誰もが通り過ぎるのだが、アノ人にも、いや、アノお方,アノ超ビックにも若手の頃は有ったのだ。きょうはそんな話をしょう。

その人が海外武者修行としてアメリカにいた頃。どのプロレス団体にも使ってもらえずに喰うに喰えない生活を強いられていたそうだ。

そんなある日のこと、やっと組んでもらえた興行に或る日本人のご婦人がその興行に出向き、その若いやせ細った選手と出逢ったのだった。

そのご婦人は、アメリカ人医師とご結婚をされて日本とアメリカの往復生活のなかで、当時は日本人が訪れて来る事はめったに無かった都市に滞在していた時のこと、夫の心づかいでプロレス興行に2人で観戦をしに行く事になったのだそうだ。

あまりにも痩せたその若い選手に、ご婦人は毎日のように分厚いステーキを食べさせて、ぎらぎら光る目から語る夢をダイニングテーブルで毎日聞いていたのだと、、

『ありがとう。俺がトップになったら、後楽園、国技館の最前列の席を毎回招待するからね』

やがて、その痩せた選手は実力をつけ日本に帰りスターに成りました、アントニオ猪木さんです。それから猪木さんは新日本プロレスを退くまでずっと毎回毎回チケットをそのご婦人に送り続けたのだそうです。

俺がまだ若手と呼ばれていた頃にそのご婦人とのご縁をいただき、このお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

アメブロをチェックされている350人の方々の為に、

AKIRA(野上彰) 公式ブログ

パソコンに写真を送ってダウンロードしてから掲載ってめんどうですなぁ。

やっぱり、スマホからやりたいのですが、なぜかスマホからログインできないのだなぁ。

それでも、毎日ご覧になられている方の為にFACE BOOKをお勧めします、

Akira Nogamiで検索してみて下さい。

でも、こちらも更新します。たまに。

で、

先ほど、『桂三四郎 独演会』に行ってまいりました☆

10年くらい前に落語にハマッタ時は有りましたが、

縁があって、また、久しぶりにハマリました。

三四郎さんのネタは現代風で、

とにかく、この人これから凄いぞ!って感じです。

取り急ぎ、ご報告まで。

なんだよ、PCからならログイン無しでいいのか。でも、スマホから更新してやらねぇ

いや、スマホから更新したかったのだけど、IDとかパスワードとかめんどくさい事になってて、

頭ったま来ちゃって。

と、いう訳で、新年1発目は意外な愚痴からでした。が、しかし、bat,、

昨年末、皆様の応援を受けましてWNC初代チャンピオンになれました。

今、この団体のチャンピオンであることは、とても嬉しく想います。

確かに何度かタイトルを獲った事は有りましたが、そこには自分の思い入れが無かったような。

目くらめっぽうに駆けた、その時の通過点でしかなかったのです。

今、このベルトを手にして、

このベルトには、プロレスへの尊厳をおしまない世界のレスラーたちの魂が宿る重みを感じます。

そりゃ、そこらのアンちゃんにはデカイおもちゃの変身ベルト程度のアイテムでしょうが、

これを巻くことが出来るのは茨の道を歩んだ選ばれし者であり、

そんな人間だからこのベルトの価値が愛おしい程なのです。

高校生の頃、団地のベランダで見上げた星に『最高のプロレスラー』を夢見て・・・、

さて、まだヤラネバ、これからだなっ☆

携帯紛失インフォメーション

久しぶりの投稿にもかかわらず、
こんな内容でごめんなさい。
いままで、携帯にメールしてくれていた方々、他社に乗り替えましたので、@ 以下は
@softbank .ne .jp
です。
どうぞよろしく。
と、買い替え、ご連絡を済ませた所で、昨日警察から拾得の届け出が有りました。
でも、以前のスマホが問題有りな機種だったので、今の快適さに満足満足。
ま、そう言う運命なんですね。
12月のあわただしさも今日に集約、
大晦日も年賀状書いております。
皆様良いお歳をお迎えください。

価値

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幸せな時間を得る事でお金を支払う。又は、自分が幸せを得る物にお金を支払う。
これは納得のいくお金の使い方。
逆の立場なら、
幸せな時間を提供してお金を頂く。
これも納得のいく所。
このお金の回り方なら世の中キレイにお金が廻る。
ここで大事なのは、
その労働の対価、その物の価値がそれに相応しいのか?
とか、
何処かで、欲張りな人が我が儘をすれば、
必ず歪みが出る。
世の中総てがそんな事を問われる今現在になっている気がするのは
貧乏している俺だから、か?

華名選手の退団

昨日もご来場ありがとうございました!

トミー・ドリーマーと闘えた歓びを今も噛み締めております。

また、昨日は団体を共に立ち上げた華名選手の退団と今後の活動が発表されました。

その理由は全て語られた訳では無いと思いますが、

選手へのギャランティーの遅配は事実で

練習や試合で身体を犠牲にしているプロレスラー達にとって、蓄えの余裕がなく、後遺症や怪我のメンテナンスが出来ず、栄養補給なども最低限で生活するのは間違いなく辛いところです。

世間一般でも労働報酬の遅配は許されるものではありません、

ましてや、それが運営、経営の問題であれば去って行く選手が出てくるのはあたりまえだと思います。

TAJIRIの発言は、それでも俺達は理想に燃えて突き進んでいます!

と言いたかったのでしょう。乱暴なコメントに動揺は隠せないようでした。

ただ、これらの事から、我らの目標は明確になりました、

我らに必要なのは、堅実に団体を運営出来る仕組みです。

今までの現実から対策を立て直し、健全な理想郷を創り上げる!

ここで生き残っているヤツラとならば、きっと出来るはずです。

韓国遠征試合

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11月14日
韓国大会の打ち上げが、焼肉屋でド派手に行われた。
初めて体験した大韓民国は大陸のおおらかさと稲作民族の協調性が同居していて、
その人間味溢れる御国柄に、ある意味里帰りの温かさを感じた俺だった。
もてなされたご馳走と酒は格別の味わいで、選手達も嘘偽りない交流の歓びにはしゃぎまくり宴は大いに盛り上ったのだった。
打上の終りにプロモーター始め、大会に尽力下さった名士、地元の顔役、トップレスラー達に招き入れられて、
その日のベストバウトを評価された俺とユースケが円陣に加わり、バランタインの30年ものをショットグラスで
『We are the ONE 』
の掛け声を高らかに飲み干した。
海を越えて俺たちの魂は確かに繋がった。
漢の契りを交わした俺達。
プロレスラーとして活きる俺達の歓びはここにあるのだと確信する。
レスラーだからこそ味わえる人生の歓び、俺はこの貴重な歓びにこそ感謝して握手と包容を交す。
飲み干した祝杯は、ことのほか円やかで、ほろ苦く喉に熱かった。
カムサハンミダ、心からありがとう。

振り返った28年間

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『ルッコラ』でのイベントご参加ありがとうございました。
過去の映像から今までをご紹介した形になりましたが、
順風満帆とはほど遠い28年間から、
何故今の自分がここにいて、何故こうなったのか?
が解った気がします。
『人生で起こった事に何一つ無駄に成ることは無い』
と、勝新太郎さんが言っていたそうです。
確かに、これまでが順風満帆だったらきっとイヤな奴に成っていた事でしょう。
いろんな目に会ってますが、
なんとなく今の自分が嫌いじゃないから、
まぁ、良いのかな、っと。
とにかく、このイベントを企画下さった皆様、
ご参加下さった皆様、感謝です!!
『本当にありがとうございました☆』

11月3日 AKIRA 28年の軌跡上映会

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かれこれ7年前からだろう
か、代々木のルッコラと言うお店にお世話になっている。
全日本プロレスの重鎮の淵さんからご紹介を頂いたお店で、
元々はジャイアント馬場さんのご友人の龍渕さんと言う方が、日々憩いの場として、また御自身がプロデュースするミュージシャンのライブ発表の場として贔屓にしていたお店なのだ。
龍渕さんは数年前に他界されているのだが、その生き方、友人との関わり方、人生の楽しみ方を教えて下さった俺にとっての恩人なのです。
今回、龍渕さんを通じてご縁を頂いたルッコラに集まる有志達が俺の激励のためにAKIRA の会を企画して下さいました!!
『プロレスラーAKIRA ムササビトークショー&上映会』
と言う事で、
プロレスラーとしてデビューした頃の映像から
それぞれの年代を追いつつ、
その頃のプロレス事情や28年間の俺の成長や移り変わりを皆で楽しめたらと思います☆
昼から酒飲みながらでねっ☆
ご来場の皆様へのプレゼントとして心ばかりの抽選会を。
そして、お楽しみ企画として≪T- 2000のツナギ≫と≪自作のジャイアント馬場さんをモデルにした油絵≫の2点をオークションいたします。
11・3代々木イタリアンレストラン「ルッコラ」
12:30 OPEN 13:00 GONG
チャージ 3000円(ワンドリンク)
限定予約制ですので、
ルッコラ03-3379-5678

Face book のAkira Nogamiにダイレクトメールなど
でご予約お願いいたします☆