あの選手が若かった頃。。。

最近、若い選手達の活躍が観ていて嬉しい。会場の隅からのぞくリングでの情景は、出来不出来に係わらず選手達の情熱に心が惹きつけられる。

それは俺が歳を取った証拠なのだろう。彼らの躍動を眺めつつ時折、俺の若手時代を想いおこしたりもする。一心不乱、いや、ただがむしゃら。。。ってか、馬鹿。

そんな時代を誰もが通り過ぎるのだが、アノ人にも、いや、アノお方,アノ超ビックにも若手の頃は有ったのだ。きょうはそんな話をしょう。

その人が海外武者修行としてアメリカにいた頃。どのプロレス団体にも使ってもらえずに喰うに喰えない生活を強いられていたそうだ。

そんなある日のこと、やっと組んでもらえた興行に或る日本人のご婦人がその興行に出向き、その若いやせ細った選手と出逢ったのだった。

そのご婦人は、アメリカ人医師とご結婚をされて日本とアメリカの往復生活のなかで、当時は日本人が訪れて来る事はめったに無かった都市に滞在していた時のこと、夫の心づかいでプロレス興行に2人で観戦をしに行く事になったのだそうだ。

あまりにも痩せたその若い選手に、ご婦人は毎日のように分厚いステーキを食べさせて、ぎらぎら光る目から語る夢をダイニングテーブルで毎日聞いていたのだと、、

『ありがとう。俺がトップになったら、後楽園、国技館の最前列の席を毎回招待するからね』

やがて、その痩せた選手は実力をつけ日本に帰りスターに成りました、アントニオ猪木さんです。それから猪木さんは新日本プロレスを退くまでずっと毎回毎回チケットをそのご婦人に送り続けたのだそうです。

俺がまだ若手と呼ばれていた頃にそのご婦人とのご縁をいただき、このお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 


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カテゴリー: ブログ   作成者: AKIRA パーマリンク